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時代の変化とお墓

  • 執筆者の写真: Forever 矢鳴
    Forever 矢鳴
  • 8月29日
  • 読了時間: 2分

 庶民がお墓を持つようになったのは、江戸時代中期以降で歴史としては未だ200年も経っていません。それ以前は、一部の特権階級のみがお墓を所有していました。


明治時代以降、身分や貧富に関わらず、誰もが葬られる権利を得て、公営や民営の霊園も増え、第二次世界大戦後には霊園の割合が大きくなりました。


「〇〇家之墓」という墓石が急増したのは1970年代以降だそうです。ここ最近の事ですね。

 

 お墓という文化は時代とともに変化してきましたが、ここ最近はそのあり方について大きな変化が起きています。背景には現代社会特有の様々な事情がありますが、家単位で代々お墓を守るという「継承ありき」から「継承しない」へとお墓の文化が大きく変わりつつあります。

 

また、「個別墓」から「集合型」や「納骨堂」へというお墓の形式的な変化や、樹木葬・海洋散骨など故人を葬ることに対する自然回帰とも言える価値観の変化も起きています。

 

そういった中で僧侶である私が問いたいのは、「お墓とは、誰のために、何のためにあるのか?」ということです。


 昨今、少子高齢化、核家族化、都市への人口集中などの変化により、多くの人が「お墓を守れない」という現実に直面しています。


「遠方でなかなかお墓参りに行けない」、「自分が亡くなった後、誰が供養してくれるのか不安」、「継ぐ人がいないから墓じまいするしかない」そうした声は、もう珍しいものではありません。


にもかかわらず、「お墓を持たないといけない」、「代々継がなければいけない」といった『形式だけが残ったお墓の伝統』が、いまだに人々を縛っています。


亡くなった人を想い、心の中で語りかけること。それこそが供養の本質ではないでしょうか?


いま、私たちには問うべきことがあります。


「大切なのは、“石”を建てることか、それとも“想い”を残すことか?」


私は亡き人への想い、亡き人の生きた証(情報)を未来永劫に残すことこそ「真の供養」であると考えます。そのために作ったのが「Forever」というサービスです。

 

形骸化しつつある墓文化に代わり、私自ら故人の情報を管理して供養することが、私の使命だと考えています。


 
 
 

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